今年5月、ソニーはスタートアップの立ち上げを支援するWebアプリケーション「StartDash(スタートダッシュ)」を公開した。起業家や新規事業担当者は「StartDash」でチェックリスト形式の質問に回答していくだけで、事業計画書など新規事業の立ち上げに必要なさまざまなドキュメントを作成でき、事業化に向けて足りていない要素を効率的に洗い出すことも可能。これだけの機能がありながら、無料で提供されている。

「StartDash」が提供される背景には、技術やシーズを持ったスタートアップはもちろん、大企業でも新たな事業を立ち上げようとする動きが活発化していることが挙げられる。しかしながら現状では、新規事業が順調に立ち上がるケースはまだまだ少ない。

事業の立ち上げにはアイデアや技術だけでなく、事業計画書の作成やサービス開発、資金調達など、さまざまなタスクがあり、新規事業の立ち上げ経験がなければ、「何から始めればいいのかわからない」という状況に陥ってしまう。このような新規事業に関わる困難や非効率を解消するために、「StartDash」は誕生した。

同アプリケーションには、スタートアップの創出と事業運営を支援するソニーのプログラム、Sony Startup Acceleration Program(ソニー・スタートアップ・アクセラレーション・プログラム、SSAP)が2014年の発足以来、数々の新規事業創出支援を通して蓄積してきたノウハウが活かされているという。

今回は「StartDash」の開発を統括している立花氏に、開発の背景や活用事例、今後の展開などについて詳しく伺った。


■ソニー株式会社 Ideation & Incubation部 Technology Development Team 統括課長 立花 誠氏

大学卒業後、ソニーモバイルコミュニケーションズ株式会社(旧:ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ株式会社)に入社。電気エンジニアとして約10年間、スマートフォン「Xperia」の開発に携わる。並行して自身のアイデアを活かしたサービス・製品のプロトタイピングを中心としたボトムアップ活動に注力。新規事業の立ち上げに興味を持ち、スタートアップの創出と事業運営を支援するSony Startup Acceleration Programを運営するStartup Acceleration部門へ異動。同部門の技術戦略担当としてスタートアップの支援に携わる傍ら、事業化支援Webアプリケーション「StartDash(スタートダッシュ)」の開発責任者としても活躍。


起業家とプラットフォーム、双方の視点から生まれた「StartDash」

――今年5月にローンチされた「StartDash」ですが、どのような背景があって開発をスタートされたのでしょうか。

立花氏 : 開発の背景には、2つの視点があります。1つは起業家、つまりは新しいことにチャレンジしようとする人の視点です。

私はSSAPに来てからアイデアを世の中に出すためのノウハウ、ビジネス化するためのノウハウを学んできました。以前、私はソニーモバイルでエンジニアをしていましたが、当時からそうしたノウハウを知っていたら「アイデアはあるのに何もできない」という状況が少しは変わっていただろうと思います。だからこそSSAPが蓄積してきたノウハウを、昔の自分のような「アイデアを世に出したいのに方法がわからない」という人たちに提供したいと思ったのです。

――もう1つの視点はどのようなものでしょうか?

立花氏 : もう1つはSSAPというスタートアップを支援するプラットフォームとしての視点です。

SSAPでは、さまざまなスタートアップ、起業家の方々を支援していますが、大半は起業や事業立ち上げが初めてという人たちです。

そういった人たちは、知識や経験が専門分野に特化している方が多いので、アイデアを説明してもらっても、事業計画として必要な項目に抜け漏れがあることが多いのです。そうすると足りない部分を一つ一つヒアリングしていくことになり、質問と説明の往復だけでも膨大な時間がかかってしまっていました。

これは私たち事業化支援側にとってもスタートアップ側にとっても、非効率です。最初にこちらから新規事業の基本的な要件を出しておくことで対話の往復を減らすことができれば、その先のもっと重要で創造的な話にウェイトを割くことができます。そこで、事業アイデアの整理をサポートするようなツールを開発しようということになりました。

▲質問に答えていくだけで、新規事業に必要なさまざまなドキュメントを作成。PDFに出力することも可能だ。

――「StartDash」はWebアプリですが、プロダクト作りの部分で苦労されたことはありますか?

立花氏 : SSAPは私のような技術の人間だけでなく、さまざまな領域の専門家が集まってスタートアップのビジネス全体をサポートできるように設計されているので、まずは各チームが持っているノウハウを収集し可視化 することから始めました。

その時点で判明したのは、それぞれのチームが専門領域の内容に入る前にスタートアップに対して同じような質問をしていたということです。たとえば「誰に対して何を売りますか?」といった基本的な質問を、技術開発のチーム、ビジネス開発のチーム、マーケティングのチームが、その都度スタートアップにヒアリングしたり書いてもらったりしていたのです。

――言われてみると有りがちですが、チームが分かれていると気づきにくいですよね。

立花氏 : そのような項目の重複などを一つ一つ整理しながら、「StartDash」のチェックリストに落とし込んでいきました。現在、「StartDash」にはニーズ検証、事業開発、販売・マーケティング、商品・サービス開発、オペレーションという5つのカテゴリーがあるのですが、そうした分類を形にしていく段階では膨大な作業が発生しました。


ディスカッションやチーム構築のツールとしても効果を発揮

――「StartDash」の特長 は、チェックリストの質問に回答していくだけで事業計画書などのドキュメントが作成できたり、事業化に足りない要素を洗い出せたりする機能にあると思います。さらに、「StartDash」を使うことで多くの人が自分のアイデアをスピーディーに事業化できるという点が特長的だと感じました。

立花氏 : 確かにスピードは上がります。ただ、それを実感できるのはすでに事業立ち上げの経験がある方でしょう。経験がない人に関しては、事業準備のスピード以前に、短時間で「やるべきことがはっきりする」ということに一番のメリットを感じていただけると思います。

私たちの経験上、何も知らずに新規事業を始めると、まず何をしなければならないのかを調べるだけで数カ月は時間を取られてしまいます。それが、「StartDash」の流れに沿ってチェックリストを埋められるだけ埋めるということであれば、5時間程度で終わってしまう。それだけで今の自分に足りないことややるべきことが分ります。数カ月を5時間に短縮できるので、圧倒的なショートカットにつながりますね。

――5時間…。それは圧倒的ですね。さらに、「StartDash」のチーム機能にも注目したいと思います。

立花氏 : そうですね。8月のアップデートでチーム機能を追加しており、複数名で「StartDash」のプロジェクトを進めることができるようになりました。プロジェクトの最新の状況を可視化してチーム内で共有することができますし、役割を分担して進めることもできます。また、本機能のローンチ後 、さまざまなチームに使ってもらう中で気づいたことですが、StartDashはディスカッションのツールとしても非常に有用であることがわかりました。

――ディスカッションで使うことでどのような効果が得られるのでしょうか?

立花氏 : 例えば、「StartDash」を使いながらディスカッションをすると、良い意味での“仲間割れ”が発生します。これは非常に重要なポイントだと考えています。

というのも、従来であればチームメンバー各自の認識が曖昧なままでもプロジェクトが進んでしまっていたところを、「StartDash」を使うことでメンバー間の認識の違いが浮き彫りになるからです。その段階で改めて議論を重ねて認識を合わせておくと、その後の展開が非常にスムーズに進むようになります。

――「StartDash」によって事業が詳細に可視化されることで、メンバー間で正確な認識合わせができるということですね。

立花氏 : 場合によっては「私はそう思っていなかったので辞めます」というケースが発生するかもしれません。ただ、これはプロジェクトの初期であれば浅い傷で済みますので、悪いことではないと思います。

後になってから「やっぱり違った」と言い出す人が現れるよりも、できるだけ初期の段階から同じ志を持つ人同士でプロジェクトを進める方が効率的ですからね。そうした意味ではディスカッションの効率化に加え、チーム形成にも役に立つツールであると考えています。

――実際に「StartDash」を活用して新規事業を進めている方々からはどのようなフィードバックが届いていますか?

立花氏 : SSAPがソニー社内で支援している新規事業の事例になるのですが、ウェアラブルデバイス「REON POCKET」の担当者に「StartDash」を使ってもらったところ、チームの強みといった、ビジネス観点では見逃しがちなポイントも明文化でき、投資をしてもらう上での信頼を勝ち得るための視点も抑えることができたと言っていました。

また、「REON POCKET」はリーダーが新規事業経験者だったため各設問はスムーズに埋められたようですが、その作業によって、改めてやるべきことの抜け漏れがないことを確信できたことも大きかったようです。

▲「REON POCKET」は、温度調整が可能なインナーウェア装着型ウェアラブルデバイス。

――社外ではどのような方々が利用されているのでしょうか。

立花氏 : 京セラ株式会社様が開発した、子ども向け仕上げ磨き専用ハブラシ「Possi(ポッシ)」のプロジェクトなど、SSAPのクライアントである大手企業の新規事業担当者の方々はもちろん、一般社会人や大学生のユーザーも少なくないようです。

ユーザーの方々からは非常に好意的な意見が多く、「事業計画書の作り方がわからなかったので助かりました」、「無料で提供いただきありがとうございます」といったものから、コンサルの方などは「これを使って(新規事業の立ち上げ方を)教えてもいいですか」と言われることも多いですね。


「StartDash」で起業や新規事業にチャレンジする人を増やしたい

――最後に「StartDash」の今後の展開やビジョンについて教えてください。

立花氏 : 「StartDash」を作ることになったモチベーションと重なる部分がありますが、このツールがあることで新規事業にチャレンジする人が増えてくれると嬉しいです。起業や新規事業が多くの人にとって身近なものになり、誰もがトライできる世の中になってほしいですし、トライする人が増えれば世の中も必ず良い方向に進んでいくと思います。

そのためにも、今後は「StartDash」の認知度を上げていくようなPR活動を推進していかなければならないと考えています。現在も「StartDash」を使ったワークショップを提供させていただいていますが、今後はより多くの人が参加できるようなイベントなども展開していく予定です。

具体的には、「StartDash」を活用したビジネスアイデアのコンテストを開催します。12/6(金)11時から応募受付をスタートしているので、ご興味をお持ちの方は奮ってご参加ください。(※コンテストの詳細はコチラ


取材後記

インタビューの中で立花氏は、スタートアップや大企業の新規事業担当者に限らず、若い大学生からリタイヤされた方まで、幅広い人に「StartDash」を使ってもらいたいと語っていた。

「StartDash」のようなツールが生まれたことにより、ハードルが高く一部の人しかチャレンジできなかった起業や事業化が、多くの人にとって身近な存在になることは間違いないだろう。しかも、これほど革新的なツールであるにもかかわらず、誰もが無料で使える状態で提供されているというから驚きだ。アイデアは持っているものの、形にする方法がわからず悶々としている方は、ぜひ一度「StartDash」に触れてみてほしい。

※「StartDash」の詳細についてはコチラをご覧ください。

(編集:眞田幸剛、取材・文:佐藤直己、撮影:齊木恵太)