フレンチテック(La French Tech)がグローバルで存在感を増している――。

フレンチテックとは、マクロン大統領が2013年に始めた、スタートアップ支援政策のことで、フランスのテック系スタートアップを表現するブランド名としても知られている。今、フランスではこの政策が奏功し、国内から有望なスタートアップが数多く生まれ、世界へと羽ばたいているという。

そのスタートアッパーたちの巣箱ともなっている巨大なインキュベーション施設が、パリの中心部から少し離れた13区にある。「Station F(スタシオン・エフ)」だ。古い駅舎を改築したこの施設は、世界各国から起業家たちが集まり、日々アイデアの事業化に向けてトライ&エラーを重ねているという。

その「Station F」に入居する唯一の日本人ファウンダーが今井公子氏だ。eiiconでは、来日中の今井氏に時間をいただき、フランスで構築されつつあるスタートアップエコシステムの中身や、注目すべきフランスのスタートアップ、日仏でのオープンイノベーションの可能性について話を聞いた。

▲SINEORA 代表取締役 今井公子氏

2000年に早稲田大学国際経営学修士卒業(MBA)。その後、ダッソー・システムズやノキアなどのグローバル企業で勤務。2019年に独立・起業し、現在はパリの「Station F」にてクロスボーダーなオープンイノベーションを支援する「SINEORA」を経営。プライベートでは二児の母。ワイン好きでワインエキスパート資格も保有する。

※ProBconブログ https://baron.eiicon.net/u/6047


グローバル企業の責任あるポジションを退き、パリで起業

――今年パリで起業されたと聞きましたが、起業前はどのような仕事を手がけてこられたのですか。

今井氏 : 大学を卒業した2000年から約19年間、今でいうデジタル・トランスフォーメーション一筋でキャリアを構築してきました。製造業向けソリューション事業を展開するダッソー・システムズで、プロダクト・ライフサイクル・マネジメントを手がけた後、ノキア・モバイルでリージョナルマネージャーを務めました。

2010年には、出戻りという形でダッソー・システムズのフランス本社に赴任し、このタイミングで日本からフランスへと移住。そこでは、主に間接販売チャネルの最高責任者を務めたほか、経営戦略のVICE PRESIDENTも担いました。そして今年、スタートアップの世界に身を投げ出す覚悟のもと会社を退職し、「SINEORA」という会社を立ち上げたのです。

――「SINEORA」では、主にどのような事業を展開されているのでしょうか。

今井氏 : ボーダレスなイノベーションをサポートする事業を展開しています。社名「SINEORA」は、ボーダー(境界)という意味の「ORA」と、否定形の「SINE」を組み合わせた造語です。国境はもちろん、大企業とスタートアップの境界、あるいは産業間にある境界を、ボーダーレスにしていくことを目指しています。

具体的に手がけている事業は3つです。1つ目は、フランスを始めとしたヨーロッパのスタートアップに関する情報を日本企業に提供すること。現地のエコシステムと繋がっている私たちだからこそ分かる情報を、独自の評価システムを用いてレポーティングしています。

2つ目は、日仏オープンイノベーションプロジェクトの運営支援です。日本の大企業の要望に沿って、プロジェクトの推進とサポートを行なっています。3つ目として、フランスのスタートアップの日本進出支援を手がけています。


大企業を巻き込んだ、フランスのスタートアップエコシステム

――フランスのスタートアップに精通した今井さんにぜひお伺いしたいのが、政府主導で進むスタートアップ支援策「フレンチテック」についてです。具体的にどのような取り組みなのでしょうか。

今井氏 : 「フレンチテック」は、2013年にフランス政府が「フランスをデジタル共和国にする」と宣言したことから始まります。多額の公的資金を投入し、スタートアップの育成を行うと発表したのです。翌年には、当時の経済担当大臣であるマクロン氏(現・大統領)が、66社ものスタートアップを、アメリカで開催される国際的展示会「CES」に連れていき、世界から注目を集めました。雄鶏(おんどり)のロゴを用いた統一感のあるブランディングが、諸外国に「フレンチテック」を印象づける一因ともなりました。

▲毎年1月にアメリカのラスベガスで開催される「CES」。各国のスタートアップが集う「Eureka Park(エウレカパーク)」では、フレンチテックが存在感を示している。 https://www.ces.tech/

この政策が功を奏し、現在、フランスではスタートアップを取り巻くエコシステムが急成長しています。それを示す数値として、「CES」への出展社数は当初の66社から360社超に跳ね上がっています。また、フランスにおけるスタートアップの資金調達額もここ3年間で倍増し、今年も新記録を更新する見込みです。

ヨーロッパの中で一番大きな市場を持つ国はイギリスですが、イギリスの資金調達額が横ばいであるのに対し、フランスは対前年比+41%の成長率を誇ります。つまりフランスは今、ヨーロッパの中でも突出して、スタートアップを取り巻くエコシステムが成長している国だと言えます。

――驚異的な成長ですね。成功の要因は?

今井氏 : この一連の取り組みでは、当初から政府とスタートアップだけではなく、さまざまなステークホルダーを巻き込んできました。投資家はもちろんですが、大企業もエコシステムに組み込まれています。

「VIVA TECHNOLOGY(ビバ・テクノロジー)」というフランスのテクノロジーイベントをご存知でしょうか。このイベントは、大企業とスタートアップが一緒になって新しいものを生み出すことに力点を置いたイベントです。大企業がブースを出し、そのブースの中で、大企業の課題を解決する複数のスタートアップが出展する仕組みとなっています。

 このように、フランスのスタートアップエコシステムにおいて大企業の存在は大きく、欠かすことができません。これは日本の現状と似ているのではないでしょうか。日本にとって、フランスの取り組みはインスピレーションを得られるものだと思います。 

▲ビバ・テクノロジーは、2016年に始まったヨーロッパ最大級のテクノロジーイベント。毎年フランスで開催される。2019年は1万3,000社ものスタートアップが参加し、来場者は10万人を超えたという。 https://vivatechnology.com/ ※画像は公式サイトトップページより

――確かに、日本では大企業の課題を、スタートアップが解決する協業の形が増えています。

今井氏 : オープンイノベーションは「1社 対 1社」の取り組みだと思われがちですが、私はそうではないと思います。ビバ・テクノロジーの例からも見て取れるように、「1社 対 複数社」の取り組みです。スタートアップは、課題解決策を出すまでのスピードの速さが特徴。一方、大企業は自社のビジネスの課題をスタートアップの力を借りながらどう解決するか。大企業のシナリオに対して、1社だけではなく複数のスタートアップを絡めていくことが、重要だと思いますね。

――フランスでは、どのような大企業がオープンイノベーションに取り組んでいるのでしょうか。

今井氏 : 幅広い分野の大企業が参加しています。たとえば、日本でも知られている航空機メーカー「Airbus」、化粧品の「ロレアル」、ラグジュアリーブランド「LVMH」などです。他にも、国営のエネルギー会社である「EDF」や国営鉄道の「SNCF」、建設会社の「VINCI」、メガバンクの「BNP Paribas」、製造大手の「Thales」なども、良質なオープンイノベーションプログラムを実施している企業の代表格です。今年のビバ・テクノロジーでは、公的機関である国防の展示も注目を集めました。スタートアップと組んで、サイバーセキュリティなどを強化していく狙いのようです。

――具体的に、どのような事例が生まれていますか。

今井氏 : たとえば、国営のエネルギー会社「EDF」は、スタートアップと組んで幅広い取り組みを行なっています。エネルギー分野でのイノベーション創出はもちろんですが、社内の業務効率化を後押しするようなスタートアップとも連携し、自社の課題解決に取り組んでいますね。

なぜかというと、会社のイノベーションは「新規事業を生み出す」ことだけではありません。R&D(研究開発)から始まり業界変革、さらに会社に纏わるプロセスを変革させることが、会社のイノベーションだからです。

過去10年間、オープンイノベーションに取り組んできたグループは、1,000社以上のスタートアップを精査し、100以上のPoC(Proof of Concept)プロジェクトを実施しています。400以上のパートナーシップを結び、そこから40以上ものスタートアップから同グループへ技術移転を実現します。

これほどの実績を生むためには、リーダーから社員までの意識改革はもちろん、予算・組織・運営プロセスといった会社のプロセスまで樹立させないと、うまく機能させることはできません。

――フランスの大企業を身近に見ていて、感じる変化などはありますか。

今井氏 : オープンイノベーションの目的が変化していると感じます。当初は、企業イメージの向上を目的にオープンイノベーションに取り組む大企業が多いように見受けられました。しかし、年々成熟度が高まり、最近ではオペレーション分野での連携も始まっています。

ロレアルの例を挙げると、当初はデジタルマーケティング分野での協業が主流でしたが、最近では研究・設計・製造といったプロセスの効率化を目的とした連携も活発化しています。

――スタートアップ側の視点も、少しお伺いしたいです。今井さんが入居されている「STATION F」では、世界各国から集まった起業家が活動していると聞きます。具体的にどんな人たちが集まっているのでしょうか。

今井氏 : 初期的なプロジェクトで入居している起業家が多いですね。シード前といったところでしょうか。「STATION F」は、入居できる期間の上限を2年に設定しています。2年以内に事業化し自活できるレベルにならないのであれば、その事業は考え直す必要があるという見方なのです。

ただし、ここには失敗しても、2度、3度と再チャレンジする文化があります。ひとつの事業がうまくいかなくても、新たなチームを組んで、別の事業で再出発する起業家が多いですね。

▲「STATION F」は、2017年にオープンした1万坪を超える巨大インキュベーション施設。会議室や約3,000人分のワークスペースが用意され、世界中から集まった1,000社を超えるスタートアップが入居している。投資家であるXavier Niel(グザビエ・ニール)氏の私財によって建設された。 https://stationf.co/  ※画像は公式サイトトップページより


フランスから見た、日本の現状と課題

――フランスから見て、日本企業の現状はどうですか。日本企業に足りない視点などがあれば、教えてください。

今井氏 : 日本企業に伝えたいことが3つあります。1つ目は、ダイバーシティ(多様性)についてです。ダイバーシティこそが世界で通用する価値を創造、あるいは再創造する唯一の方向です。しかし、今の日本企業は、ダイバーシティが欠けています。これが、日本から価値創造型のスタートアップが生まれづらい理由のひとつだと思います。

――ダイバーシティの欠如は、残念ながら仰るとおりの状況だと言えるでしょう。フランスではどうですか。

今井氏 : ステーションFでは女性の(CO-Founder)共同創業者のいるスタートアップが約40%を占めていますし、それに、非常に多国籍な場所です。中国やインドといったアジアからも数多くの起業家が集まっています。極端な例で、元ホームレスや元囚人たちによるプロジェクトもあります。

フランスのデジタル政策を推進する国務長官 は、韓国人とフランス人のハーフですし、フレンチテックの政府担当者はフィリピンから来た方。国籍、性別、経歴など、さまざまな観点でダイバーシティに富んでいます。だからこそ、新たな価値の創造につながりやすいのだと思います。

――なるほど。

今井氏 : 2点目ですが、日本だけではなく、もっと世界を見るべきです。もし起業を目指すなら、1年ぐらいかけて世界を見てまわってからのほうがいいでしょう。世界を見てからでないと、当然ユニコーンにはなれません。

 3点目が、日本ではシリコンバレー、中国、イスラエルばかりが注目されていますが、ヨーロッパにもぜひ目を向けてください。日本と親和性が高い優れたスタートアップがたくさんあります。このチャンスは見逃すべきではありません。

 

フレンチテック×日本によるオープンイノベーションの可能性

――日本の大企業がヨーロッパに目を向けたとき、どのようなオープンイノベーションの可能性があるとお考えですか。

今井氏 : たくさんあると思いますが、フレンチテックの強い分野のひとつとして、基礎研究も含めたバイオテクノロジーが挙げられます。フランスはこの分野で、世界をリードする研究開発力を有しています。

そこから、たとえば癌の生体内バイオマーカーを開発するスタートアップや生体情報を取得できるウェアラブルデバイスを開発するスタートアップなどが生まれています。

また、LVMHやロレアルが本社を置くフランスでは、ビューティーテックも盛んです。両社との協業により生まれたプロジェクトなどは、日本のビューティーテックとは角度の異なるものが多く、おもしろいと思いますね。日本企業が取り入れることで、新たな展開につなげることができるのではないでしょうか。

――日本でもオープンイノベーションに取り組む化粧品メーカーが増えているので、協業ができる可能性はありそうですね。

今井氏 : はい。上記以外にも、フランス人はロジックに強いため、AI分野で活躍している人がたくさんいます。実際、アメリカのIT大手でも、フランス人がAIの開発をリードしていると聞きます。

AI分野のスタートアップもたくさんあるので、協業できる可能性はあるでしょう。これらに限らず、多彩な分野で有望なスタートアップが生まれています。挙げればきりがないほど、幅広い可能性がありますね。

――少し話が変わりますが、「フレンチテック」に類似した取り組みとして、日本では「J-Startup」が存在します。ヨーロッパで日本のスタートアップの知名度はどうですか。

今井氏 : 正直なところ、まだ知名度はそれほど高くありません。ですが、JETRO(日本貿易振興機構)さんが力を入れていらっしゃるので、これから伸びていくでしょう。JETROさんがヨーロッパに連れてこられる日本のスタートアップの質も、年々高まっているように感じます。日本には、世界に通用する優れたスタートアップがたくさんあるので、はやく海外に進出してほしいです。


大事なのは、語学力ではなくマインドセット

――海外企業との協業、あるいは海外への進出を考えた際、やはり言葉の壁が気になります。海外で活躍されている今井さんから、ぜひアドバイスをいただきたいです!

今井氏 : 言葉よりもマインドセットが大事です。伝えたいことが明確になっていれば、仕草で表現できます。言葉が下手でも、「何とか伝えよう」とする仕草を見せれば、相手も受け入れてくれるはずです。

日本人は昔と比べて、ピッチが上手くなりました。決してできないことではありません。ただ、チャンスや環境に恵まれなかっただけでしょう。外部からの刺激を受けないと、どんどん閉鎖的になりますから、オープンマインドで、とにかく外の世界にも目を向けることが大事です。

――最後に、日本の新規事業に取り組むビジネスパーソンに向けて、メッセージをお願いします。

今井氏 : ひとりの社員としてではなく、オーナーの立場に立って、新規事業のことを考えてほしいです。私自身、ダッソー・システムズにいた際、常にCEOだったらどういう視点で判断するかを考え、動いてきました。もちろん、経営者視点で取り組んでおられる方もたくさんいらっしゃるでしょうが、その数がもっと増えていけばいいと思います。


取材後記

わずか5年で世界にインパクトを与えるスタートアップエコシステムを構築したフランス。ポイントとしては、(1)政府主導のもと官民が連携した取り組みであること、(2)大企業の懐でスタートアップが育つ仕組みができていること、(3)フレンチテックという統一ブランドにより世界に売り込んでいること、などが挙げられる。日本の現状と類似しているが、フランスのほうが先行しているという印象を受けた。「もっとクロスボーダーに」――今井氏が語るように、国境・人種・産業・カルチャー・官民、あらゆる境界を越えていきたい。そう感じる取材だった。

(編集:眞田幸剛、取材・文:林和歌子、撮影:古林洋平)