2018年10月、物販商品開発のためにトマト栽培の実証実験をスタートさせた日本郵便。長野の自社遊休地を使ったこのプロジェクトは1年強の期間を経て、長野県産フルーツトマト「さやまる」として商品化が実現。2020年2月から同社オリジナル商品として、郵便局のネットショップで販売が開始された(※)。

土地の有効活用といった目的があるとはいえ、日本郵便が未経験領域である”農業”に参入したのはどのような理由があるのだろうか――。

本記事では、事業の企画からトマトの栽培、販売までを手がけた鈴木雄輔氏に「さやまるプロジェクト」と名付けられた新規事業立ち上げへの経緯と、それにまつわるキーパーソンたちとのストーリーを紹介。周囲の後押しからイントレプレナーへと進化を遂げている鈴木氏が、「さやまるプロジェクト」にかける想いを聞いた。

※参考)日本郵便プレスリリース「オリジナル商品 長野県産フルーツトマト「さやまる」の販売開始」


■日本郵便株式会社 事業開発推進室 主任 鈴木雄輔氏

2010年、日本郵便に新卒入社後、郵便局の現場経験などを経て本社の物販ビジネス部に配属。現在は事業開発推進室に所属し、「さやまるプロジェクト」をリードしている。


「自分の意思だけだったら諦めていた」事業立ち上げを支えた3人のキーパーソン

――まずは、トマト栽培事業に着手するきっかけについて教えください。

鈴木氏 : 最初のきっかけは2013年に秋田に転勤した時のことです。現地の郵便局長から会社が抱える課題について話を聞いたことが、事業アイデアのシーズになっています。

弊社は「ふるさと小包」という物販事業を行っているのですが、扱っているのは全て他社の商品。他のチャネルでも購入できる商品を販売斡旋していることに、現場のモチベーションが下がっていました。そこで日本郵便でしか買えない自社製品を開発する必要性を感じたのです。

そんなとき、転勤していた秋田の郵便局長が「いつか東京に帰ったら、社員が生涯やりがいを持って働ける会社となるようなキャリアの選択肢を作ってくれ」と願いを託してくれたのです。

――その願いはどのように実現されていったのですか?

鈴木氏 : 2015年に秋田から東京の本社に戻り、物販ビジネス部に配属になった私は、部内のミーティングで自社商品を作る構想を発表しました。その時は何も起きませんでしたが、1ヶ月後に社内で将来の事業を公募することになった時、私の発表を覚えていた当時の上司に勧められて応募することにしたのです。

社内から50~60の応募があったのですが、私のアイデアが最後の7つにまで残り経営陣の前でプレゼンしました。しかし。その時はプレゼンするだけで終わりました。

本格的に事業化のために動いたのは、2017年4月に始まった「社内副業制度」がきっかけです。本業をしながら新しい事業に挑戦できる制度で、私のプレゼンを覚えていた執行役員に勧められて事業化を始めたのです。

――上司と執行役員に背中を押されて事業を始める形になったのですね。

鈴木氏 : はい、秋田の郵便局長も含めて、3人がいなかったら事業が形になることはありませんでしたね。私はもともと自分で事業を立ち上げるような性格ではなかったので、人との縁のおかげで事業を立ち上げられたと思っています。

3人には定期的に進捗を共有していて、その都度アドバイスや応援をもらっていました。途中、何度も大変なことがあって諦めかけたのですが、3人が諦めるまでは自分は諦めないと決めていました。もし自分の意思だけで続けていたら、途中で諦めていたと思います。

――具体的にどんなことが大変でしたか。

鈴木氏 : 一番大変だったのは社内の説得ですね。提案から実際に事業が立ち上がるまで3年かかっているのですが、そのうちの1年半は社内の説得に費やしています。異業種から農業に参入して失敗しているイメージが強く、反対の声もありました。

そのため失敗するケースを分析して、対策していることを細かく説明しました。他社では商品を作ることに注力しても、その後の販路まで計画に入れておらず収益化できていなかったのです。それに対して私たちは既に販路を持っていて、その販路に合った商品を作れば高い確率で売れることを示してきました。


水やりも肥料もスマホで管理。最先端技術を使い、“共創”でトマトを栽培

――「自社商品を作る」という構想から、トマト栽培に至った経緯を教えてください。

鈴木氏 : 弊社の社員には兼業農家の方もおり、将来的に全国の社員に携わってもらうことを考えて農作物を自社商品にすることはすぐに決まりました。それからトマトが候補に挙がった理由は、赤い色が日本郵便のコーポレートカラーにピッタリという理由です(笑)。

最初はそんな理由で候補に挙がりましたが、調べていくうちにトマトは野菜の中で値崩れがしづらく、売上げ規模も大きいことがわかったのです。売上げや作りやすさなどを総合的に考えてトマトに決めました。

――場所はなぜ長野を選んだのですか。

鈴木氏 : 九州や四国も候補地に挙がっていたのですが、輸送の効率性を考えて長野にしました。全国に出荷することを考えた場合、日本の中央に位置する長野であれば、輸送費やお届け日数などを考えたときに効率が良いのです。

栽培を行っているのは、もともと郵政省時代に社員のためのレクリエーション施設が建っていた場所です。今では運動場を取り壊して更地にしているのですが、弊社の施設を通らなければいけない土地なので、他社に貸すこともできずに困っている土地でした。

――日本郵便にとって初めての農業事業だと思いますが、何から取り掛かったのか教えてください。

鈴木氏 : おっしゃる通り農業は初めてでノウハウがありません。上司のツテで東京農業大学に相談に行きました。東京農業大学では企業からの持ち込みで研究を受託する制度があったので、契約を交わして一緒にトマトを作ることにしたのです。

今もお世話になっている先生が、東レ建設さんと組んで高糖度トマトを作る研究をしていたので協力をお願いしました。東レ建設さんは“トレファーム”という農業施設を展開していて、私たちもそれを使わせてもらっています。

――東レ建設さんの“トレファーム”は通常のビニールハウスとは違うのでしょうか。

鈴木氏 : 最新式のシステムを使ったハウスで、気温や湿度のデータもリアルタイムでスマホに共有され、10分おきにハウス内の様子も画像で送られてきます。それらのデータをもとに水や肥料もスマホで操作できるので、離れた場所にいても管理できるのです。おかげでハウスの中で作業するのは、半日程度です。

また、高齢の方でも栽培ができるように、栽培ベッドが60~70センチほど高い場所に設置されています。通常の栽培に比べて腰を曲げずに収穫できるので、体への負担を減らせるのです。東レ建設さんは高齢者や障害者の方でも農業ができるような施設を研究しているので、私たちの目的にマッチしているのです。

▲東レ建設の“トレファーム”は高床式になっており、収穫もしやすいという。

――東京農業大学さん・東レ建設さんと、まさに“共創”でプロジェクトを進めていったのですね。栽培規模についても教えていただけますか?

鈴木氏 : 今はビニールハウス2つで栽培をしています。最初は1,500坪で栽培しようと計画していたのですが、社内ではいきなり大規模に始めるのはリスクが大きいと言われました。今考えれば実験的に小さく始めてよかったですね。

収穫量は1シーズンで2.4トン程度です。だいたい1シーズン4ヶ月なので、年に3回収穫できます。そのうち出荷できるのは、糖度の基準を超えた65%くらいですね。

――ビニールハウス2棟を何名で管理しているのですか。

鈴木氏 : 昨年までは私と東京農業大学の研究員の方と2名で管理していました。東京農業大学が研究員の方を1名長野に常駐させてくれたのです。栽培のデータをきちんと取ってくれるので、それを元に大学からアドバイスを都度もらっています。

最近になってから高齢者の再雇用も始めました。現地の郵便局のOB会長にお願いして、定年退職した66歳の方を紹介いただき手伝ってもらっています。これから定年退職した方でも楽しく働ける環境を作っていきたいと考えています。

――トマト栽培は初心者の方でもすぐにできるものなのですね。

鈴木氏 : 今お手伝いしてもらっている方は農業の経験がある方ですが、経験のない方でも馴染みやすいと思います。私も長野で本格的に栽培を始めるまで、東京農業大学のキャンパスで3ヶ月間実技研修をしただけですが、長野ではスムーズに栽培を始められましたので。


全国の社員のやりがいになる事業に

――栽培を始めてからトマトは計画通りに収穫できたのでしょうか。

鈴木氏 : 昨年冬の初めての栽培では計画どおりに高糖度のトマトを収穫できました。しかし、冬だったのでうまくいったのですが、夏の栽培は難しかったですね。暑いのですぐにトマトが割れたり、水を多く与えるのでトマトの糖度が下がってしまい、思ったようにトマトが作れませんでした。

夏が終わるころには、東京農業大学からのアドバイスで改善しましたが、自然を相手にする農業の難しさを実感しましたね。他社の高糖度トマトを調べても、夏は糖度の基準値を下げて出荷しているようです。

――今年の夏が勝負ですね。うまくできたトマトは既に販売されたのですね。

鈴木氏 : はい、既にテスト販売という形で、スーパーで販売させてもらいました。郵便局の名前は出さずに販売したのですが、お客さんからの反応はよかったようです。通常ですと農産物の販売率は80%らしいのですが、私たちが作ったトマト=「さやまる」は95%売れました。

――可愛い名前ですね。

鈴木氏 : 社内で名前を公募して決めました。栽培をしている場所の郵便番号の最初の3桁が「380」で、語呂合わせで「さやまる」です。トマトの「さわやか」で「まるい」イメージを伝えられる名前だと思っています。

――テスト販売が軌道に乗り、これからどのように販売されていくのですか。

鈴木氏 : 2月から本格的にネット販売をスタートさせ、スーパーと通販の2つの販路で販売します。当初は通販のみで販売する計画だったのですが、販路が一つだと不安なのでスーパーにも流通させることにしたのです。

通販では糖度の基準を満たした商品を販売して、基準を満たさなかったトマトは価格を下げてスーパーに流通させる予定です。当初の計画では糖度を満たさないトマトは売上げに計上していなかったのですが、スーパーで売ることで売上げに貢献してくれるはずです。

――最後に将来的なビジョンについても教えてください。

鈴木氏 : まずは長野での雇用を増やしたいですね。今は1人に手伝ってもらっていますが、もっと規模を大きくして、多くの人が働ける事業にしていきたいです。そして、長野での成功モデルを他の地域でも実施して、もっとトマト作りに関われる人を増やしていきたいと思っています。

そのために私がいなくても長野のトマト栽培が回るようにしなければいけませんし、人事評価も新しく作らなければいけません。今は農業での頑張りを評価する制度がないため、新しく評価制度を作り、フルタイム以外の雇用形態でも満足して働ける環境を作っていきたいですね。

【関連リンク】

●長野県産フルーツトマト「さやまる」の販売サイト。「郵便局のネットショップ」内で販売を行っている。

https://www.shop.post.japanpost.jp/shop/pages/sayamaru.aspx

●公式Facebookページ「さやまるプロジェクト」。生産状況や出荷状況、生産者の日々の働きぶりなどをお知らせしている。

https://www.facebook.com/380project/


取材後記

鈴木氏が手掛けるトマト事業は、単なる売上げの柱として期待されているだけではない。日本全国の社員が、いつか自分も携わるかもしれない事業として注目しているようだ。トマトの栽培が長野以外でも行われるようになれば、多くの社員が老後も安心して働けるようになるだろう。

「老後2,000万円問題」など、日本の高齢者には多くの不安が残されている。日本郵便の一手が、日本の高齢者が抱える問題の光明になることを期待したい。

(編集:眞田幸剛、取材・文:鈴木光平、撮影:古林洋平)