新規事業やイノベーションの成否を分けるポイントや、新規事業担当者の成長・学習のメカニズムなどを、膨大なデータをもとに紐解き、「人と組織」という観点にフォーカスした書籍”「事業を創る人」の大研究”(クロスメディアパブリッシング)。――同書を、立教大学経営学部 教授の中原淳氏とともに共同執筆したのが、人材系シンクタンク・パーソル総合研究所出身で現・立教大学経営学部 助教・田中聡氏です。

以前、eiicon labでは田中氏にインタビューを行い、研究テーマに基づいたお話を伺いました。このインタビュー(前編後編)が大きな反響を得たことをきっかけに田中氏による「事業を創る人」に着目した連載企画をスタートしました。第6回目は、前回に引き続き”新規事業の任せ方”についてフォーカス。今回は「新規事業ワクチンの注入と出口イメージの共有」について解説してもらいました。

【★本連載における「新規事業」の定義について】

本連載では、事業を創る活動(新規事業創造)を「既存事業を通じて蓄積された資産、市場、能力を活用しつつ、既存事業とは一線を画した新規ビジネスを創出する活動」と定義します。つまり、事業を創るとは、単に新しいものを生み出すことではなく、既存事業で得た資産・市場・能力を活用して、経済成果を生み出す活動です。

新規事業を任せるとは、「新規事業を進めていくプロセスを伴奏しながら支援し、結果に対する責任を共有する」ということです。ここで強調しておきたいポイントは、「伴奏」「支援」「結果責任の共有」の3点です。これらの要件が全て揃って、はじめて「任せる」と言えますが、現実はそう簡単ではありません。本稿では、経営層の視点から、担当者に「新規事業を任せる」ということの意味について、見ていくことにしましょう。


新規事業ワクチン「RJP」と「RDP」

連載第5回では、新規事業を任せる際、担当者に「既存事業とはゲームのルールが180度違う」ということを伝え、新規事業をプレイするマインドセットへの切り替えを促すことが重要だとお伝えしました。そこで、今回は事業を創る人のマインドセットを切り替える上で効果的な「新規事業ワクチン」という考え方についてお伝えします。

「新規事業ワクチン」とは、事業を創る人が新規事業を立ち上げていくプロセスで直面する「悶絶経験」を前もって告知し、着任後のショックを軽減させる、という一種の予防行為のことを指します。新規事業ワクチンには「RJP」「RDP」という2種類があり、両者を効果的に使い分けることが重要です。

まず、RJPとは「Realistic Job Preview」の略で、日本語では「現実的職務予告」とも言われます(※1)。現実的職務予告には、個人がある組織に入る前に抱く「過剰な期待」を抑え、組織に入った直後に経験する「幻滅」をできる限り抑制する狙いがあります。具体的には、入社前にその仕事のよい面ばかりでなく、ネガティブな面も含めてしっかりと事前に伝えておくことが、入社後の職務適応を促したり、早期離職を防ぐ効果があることがこれまでの研究で明らかになっています(※2)。

この考え方を「新規事業を任せる」という場面に適用すると、事業を創る人が共通して経験する「負の側面」を前もって予告しておくことが重要だと言えます。仕事そのものの変化や自分を取り巻く環境の変化だけでなく、仕事に対する考え方やこれまで大事にしてきた価値観、自分への期待といった内面的なものまでもがひっくり返ってしまう体験ーーこうした心理的な葛藤(ジレンマ)や内面の揺れを予告することが創る人の早期適応を促す鍵になります。すなわち、創る人に新規事業を任せる場合には、これからどんな仕事をすることになるのかという職務の事前予告(RJP)だけでなく、これからどんな葛藤(ジレンマ)を経験することになるのかについても事前予告することが必要なのです。これを私たちは RDP(現実的葛藤予告:Realistic Dilemma Preview)と名づけることにしました。

※1……高橋弘司(1993)「組織社会化研究をめぐる諸問題」『経営行動科学』8(1),1-22.

※2……Wanous,J. P., Poland, T.D., Premack, S. L.&Davis, K. S.(1992)“The effects of met expectations on newcomer attitudes and behaviors:A review and meta-analysis,” Journal of Applied Psychology, 77(3),288-297.


事前予告によって、道筋をイメージしてもらう

新規事業を任せる側からすれば、できるだけやる気を持って臨んでもらいたいという思いから、つい新規事業の魅力ややりがいといったポジティブな側面を強調して伝えたくなることでしょう。しかし、それだけでは不十分なのです。「どういう仕事を担当してもらうのか」と同時に、「どんなジレンマを乗り越えなければならないのか」という事前予告をしておくことで創る人としての覚悟を醸成し、「最初は不条理な環境で物事が進まない現実にもがき苦しむかもしれないが、それらを乗り越えることで最終的には経営者視点を獲得し、新規事業の経験からでしか得られない成長を遂げられる」と、自分がたどっていく道筋をイメージしてもらいます。いわば、沼地を予言して見取り図を渡し、入口から出口までの道のりを見せるのです。

新規事業を任せるときに、このRJPとRDPをセットで伝えるかどうかで、その後の結果が大きく変わることになります。もちろん、任せる段階でいくら入念に新規事業ワクチンを打っておいたとしても、その先に待っている「茨の道」が平坦な道に変わるわけではありません。茨の道は茨の道です。以前ご紹介した見取り図(連載第3回)が指し示す通り、新規事業を創るプロセスの中で、ジレンマを抱え、孤独を感じ、悩んで落ち込んだり、時には周囲に不満を吐露することも当然あり得るでしょう。しかし、新規事業ワクチンによって、そうした心理的な葛藤が、自分個人の問題ではなく、あくまでも「新規事業」ならではの構造上の問題であり、多くの人が経験しうるものだと理解することができます。そうすれば、今置かれている状況が永遠に続くわけではなく、試行錯誤のうちに必ず抜け出すことができる、と思える余裕が自然と心に湧いてくるものです。


新規事業任命時に寄せられる3つの質問

これまでお伝えしたように、既存事業と新規事業とではゲームのルールがまったく違うということ、そして新しいゲームを始めた先には多くのジレンマを経験することになるということを前もって予告されることで、新規事業を任された本人の不安は大きく軽減されます。

しかし、それでもある日突然、未来があるのかないのかわからない新規事業への配属を受けた人の多くは、「この先、自分のキャリアは一体どうなってしまうのか」と不安を抱くものです。私たちが行った定性調査の結果からも、多くの新規事業担当者が内示を受けた際に動揺している様子が伺えました。「既存事業での仕事ぶりに何か問題でもあったのだろうか」と不安を感じていた人も少なくありません。また、任命する側からすると、適任者だと見込んで異動を決めたケースでも、抜擢の意図が正しく伝わっておらず、「出世への道が閉ざされてしまった」と当人は誤った解釈をしてしまうことがよくあります。これを防ぐためには、任命する際にしっかりと会社からの期待を伝えておくことです。

任命時に本人から寄せられる代表的な質問が次の3つです。

任せる側としては、これらの問いに対する答えをあらかじめ用意した上で、新規事業を任せることが重要です。特に、任命した人が既存事業に長く在籍している場合には、①の問いに見られるような新規事業の必要性に疑問を抱きがちです。無意識のうちに自部門最適主義の発想に陥り、全社の視点で考えることができなくなってしまっている可能性があります。

そのような場合には、あえて視点を上げ、会社が置かれている経営環境と今後の経営計画をもとに、今なぜ会社が新規事業を必要としているのかを丁寧に説明する必要があるでしょう。会社が掲げている中長期の経営目標は、通常、既存事業による事業成長の延長線上には存在しないところに設定されているものです。極論を言えば、会社が新規事業を必要とするのは、全社の成長目標と既存事業の成長目標とのギャップを埋めるためです。会社の未来にとって新規事業がいかに必要不可欠であるかを一貫して経営的な視点から伝えることが重要です。


なぜ、あなたなのか? という意味づけ

また、②「なぜ、私なのか?」という問いに対しても曖昧な受け答えは禁物です。ここでは、単に指名した理由を合理的に説明するだけでなく、「今後の期待」を言語化して伝えることが有効です。つまり、本人のどこを見て新規事業への適性を評価したのか、具体的に伝えることはもちろんですが、それ以上に、新規事業での経験を通じて今後どのように成長していってもらいたいと思っているのか、という「経営からの期待」を余すことなく伝えることが重要です。新規事業部門を経験したあとに配属を検討しているポストの候補などをこのタイミングで具体的に伝えることができればその効果はさらに高まります。そうすることで、ネガティブな誤解を解消するだけでなく、任命される側も自分自身で新規事業への適合性を判断し、新たな仕事に前向きに打ち込むための意味づけを行えます。

さらに、既存事業でエース級の活躍をしている人であれば、③「今の自分の仕事はどうなるのか?」と感じるのは自然なことでしょう。このような自分の抜けた穴を心配する人に対しては、「大丈夫、君が異動することは、むしろ組織にとって成長するチャンスだから。残されたメンバーが抜けた穴を補おうと努力することで、個人も組織も強くなっていく」と言い切り、本人に前を向かせることが必要です。エースが担っていた責任のある仕事を残されたメンバーが引き継ぐことで、本人の成長に繋がるという効果が見込めることはもちろん、ポストが空くことによって残されたメンバーのキャリアの見通しを明るくする効果も期待できます。

この点について、ヤフーの常務執行役員・コーポレートグループ長である本間浩輔氏も、著書(※3)の中で「組織変革の鉄則は、ナンバーワンを外し、ナンバーツーを引き上げること」だと述べているように、エースの異動は残された人と組織を強くする絶好のチャンスにもなるのです。生き馬の目を抜くようなビジネスの業界にあって何をいまさら「意味づけ」かとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、そういうあなた自身は「意味や意義の見いだせない仕事」に長くパッションを保ち続けて取り組むことができるでしょうか。 たかが意味、されど意味なのです。

※3……本間浩輔・中原淳(2016)『会社の中はジレンマだらけ 現場マネジャーの「決断」のトレーニング』光文社.


出口のイメージをすり合わせる  ─ 成功したとき、失敗したとき

事業を開始する前に事業の出口を見据えておくことも重要です。具体的には、事業低迷時の撤退基準と事業好調時のインセンティブプランを明確にし、創る人と会社の間で合意しておくということです。遅くとも新規事業案を承認するタイミングまでには両者の合意を得ておきたいところです。

撤退基準の例としては、事業継続期間と状態目標によって設定されることが一般的です。例えば、「事業開始◯年以内に黒字転換しなければ撤退する」「1年以内にユニークユーザー◯万人を達成できなければ撤 退する」などです。こうした客観的な基準をあらかじめ設定し、両者で合意しておくことで、「あと1年やっていれば事業は軌道に乗っていたのに」といった、無用な”たられば論”や後腐れを残さずにすみます。

一方、創る人と会社側で後々トラブルに発展しやすいのは、事業が失敗した場合だけではありません。この点は意外に見落とされがちなポイントなのであえて強調しますが、事業の見通しが立ち、将来性を見込めるようになった段階でも両者のトラブルは多く見られます。もともと会社内の一事業部門として発足した新規事業が順調に立ち上がるにつれて、経営の自由度とスピード感のある意思決定を求めて部門を分社化したいと考える創る人側の主張と、将来の収益基盤の柱となる可能性を秘めた新規事業を囲い込みたいと考える経営側の論理のズレが徐々に鮮明になってくるのです。こうした対立を未然に防ぐためには、新規事業の成功シナリオとそれに基づくインセンティブプランをあらかじめ設計し、両者で合意しておくことが重要です。

今回は、新規事業を任せる際に、事業の出口イメージ──事業低迷時の撤退基準と事業好調時のインセンティブプランを議論し、前もって合意しておくことの重要性について述べました。このようなお話をすると、「新規事業なんて不確実性の高いものなのだから、そんなものやってみなければわからない」と批判的なコメントをいただくことがよくあります。ただでさえ忙しい事業の立ち上げ期に、事業の評価基準や出口イメージを検討することに余計な労力を割きたくないというのが創る人の本音だということも重々承知しています。

しかし、不確実性の高い事業だからこそ、前もって事業の出口イメージを見据えておくことが重要なのです。事業の評価基準と出口イメージがズレていたりし、そもそも曖昧であったりすることが原因で頓挫した新規事業というのはこれまで無数に存在します。ですから、一見遠回りなことのように思われるかもしれませんが、時間を設けて、事業の評価基準と出口イメージについて創る人と支える人(会社)がすり合わせることは、決して後回しにしてはならない重要なプロセスだと言えるでしょう。

 事業の評価指標として適切なのは、売上なのか、利益なのか、それとも利用者数なのか。仮にその指標が現実に即さない場合には柔軟に変更すればよいのです。大切なことは、何を大事な価値基準に据えて事業を進めているのか、という事業の羅針盤を創る人と支える人(会社)が常に共有し、同じ目線に立って新規事業に関わるということです。


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次回、連載の第7回目は、今回の記事でも少し触れた”創る人が直面する悶絶体験―4つのジレンマとの戦い―”についてお伝えしていきます。ご期待ください。



<田中聡氏プロフィール>

▲立教大学 経営学部 助教 田中聡氏

1983年、山口県生まれ。大学卒業後、株式会社インテリジェンス(現・パーソルキャリア株式会社)に入社。事業部門を経て、2010年に株式会社インテリジェンスHITO総合研究所(現・株式会社パーソル総合研究所)設立に参画。同社主任研究員を経て、2018年より現職。東京大学大学院 学際情報学府 博士課程。専門は、人的資源開発論・経営学習論。主な研究テーマは、新規事業担当者の人材マネジメント、次世代経営人材の育成とキャリア、ミドル・シニアの人材マネジメントなど

Web:satoshitanaka.com

Twitter:satoshi_0630



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「千三つ」と呼ばれるほど、新規事業を当てるのは難しいと言われています。

これまで、新規事業は成功を収めた企業や経営者による「戦略論」によって語られてきました。

しかし、戦略が良くてもコケるのが現実。では一体、何が真の問題なのか…?


本書では、その答えを探るべく、暗中模索の新規事業を統計データと質的データを用いて解剖し、新規事業をめぐる現場と組織を科学的に分析しました。

その結果見えてきたのは、新規事業部に配属された人々の孤独な茨の道。


「新規事業を成功させるのは斬新なアイデアではなく巻き込み力」

「新規事業の敵は『社内』にあり」

「出島モデル、ゼロイチ信奉の罠」


など、定説を覆すような、”人”をとりまく現実が明らかとなりました。

本書は、新規事業の担当者、現場マネジャー、経営幹部を成功に導く最先端の「見取り図」です。