「クラゲ型人間」は宇宙人ではない

前回は「しくじり」(いわゆる失敗したこと)について書こうとしたのですが、「結果(成功か失敗)までの過程での挑戦活動そのものが、結果が成功しようが失敗しようが、次の新たな挑戦の糧になる」と思っているので、ストレートに「しくじり談」が書けませんでした。どうも私は「一般的に言えば失敗とかしくじりに見えることも、そうは思っていなかった」ようです。

そこで今回は、「私の具体例」、つまり「結果は失敗だったかもしれないけれど、やってみて分かったこと・身に付いたこと・なのでその次に挑戦できたこと」を書きます、と予告しましたが、まずマンガに書いた「クラゲ型人間」の話から。

ある専門領域を深く掘っていく(だけ)の人を「I型(縦に深く長い)」、その専門領域に加えて広い知見を持つ人を「T型(横棒が広い知見)」、最近よく言われるのが、専門領域を2つ(以上)持つ「Π(パイ)型」。そして、何が専門家分からないほど縦の線を沢山持つのを「クラゲ型」と言います……が、どこかで「クラゲ型」という表現を見た気がするのですが、ネットでは中々出てきません(おかしいなあ……)。

「クラゲ型人間」の特徴は「専門(かもしれない)領域を沢山持っている」ことに加えて「(潮流などに)流されて次の世界に行く」ことも特に私を「クラゲ型人間」と呼ぶのでれば挙げられる気がします。

目の前に現れたちょっと面白そうな話題にとりあえず食いついてやっているうちに「新しい足」が生えてきて、気が付くと「流れに巻き込まれて次の世界に行っている」……そんなサラリーマン人生でした。


流されて、身につけて

私のことを書いても参考にも何にもなりませんが、まあ、そういう人生もあってもいいのだな、という感じで軽くお読みいただくと幸いです。

途中で生えてきた「新しい足(広がった知見領域)」にA~Iをつけました。

私は技術者として会社に入りました。配属された部署ではインクジェットのノズルの穴加工のテーマを先輩と一緒にやることになりました。そのころ、微細加工を強化するためにクリーンルーム(ゴミがない実験室)を持つ建屋を作ろうというプロジェクトが始まり、先輩は「そんなことに関わりたくない」というので、私は1年以上、建設のプロジェクトに関わることになり、ヘルメットをかぶって建設現場でウロウロしたりしていました。今考えると最初から道がそれました。入社2年目にも関わらず全てのドラフトチャンバー(水回りの台)の基本設計をして発注したり、超純水設備の選択などに関わり、「A.クリーンルームの知見」が身に付きました。この知見はあまり具体的に他のことの役には立ちませんでしたが……。

その後、光ディスクのフォトリソ(微細加工)のテーマを担当していましたが、ちょっとしたことから光磁気ディスク(MO)のISO(国際標準化委員会)の日本代表メンバーになり、「B. (ISOなど)標準化の知見」が得られました。クリーンルームでクリーンルーム用の服(目のところだけ開いている)を着て、実験に明け暮れていた日々から、外出したり海外出張する日が激増しました。このころからいわゆる一般的な研究者の道からはそれました。

当時は日本が主導する国際標準は大変珍しく(今でも?)、その後、会社としての様々な標準化活動へのアドバイスを行うようになりました。光ディスクの事業の立ち上げには多少貢献したかもしれませんが、それから10数年たって、会社としては光ディスクの事業そのものからも撤退したので、そういう意味では失敗の一つです。

その後、企画に移り、全社プロジェクトの「将来事業検討委員会」の事務局をやることになりました。この時をきっかけに「C. 事業提案の仕方」の基本を学び、その後の「新規事業の企画・創出」の人生へ足を踏み入れたと思います。この活動以前は本当に「事業」のことを殆ど分かっていませんでした。この委員会の提案から具体的なテーマもいくつか起こりましたが、事業化までの道のりは遠く、この委員会がその起点になったと明らかなものはありませんでした。そういう意味ではこれも失敗ですね。

そして、その委員会の流れから「シリコンバレーで何かやろう」ということになり、ウロウロして色んな方の話を聞いて、今でいうCVC(Corporate Venture Capital:会社としてVCをやりスタートアップに直接投資をする)の提案をし、自らシリコンバレーに駐在することになります。シリコンバレーではイヤでも「D.投資関連」の知見が身に付きました。訳が分からず辛い日々でもありましたが。また、5年半の駐在で「E.英語」がなんとかなるようになりました。英語は自分の世界を広げる(より脇道にそれる?)のに本当に役に立ちました。

シリコンバレーで投資をし、その知見やネットワークを活かしてシリコンバレーで興した新規事業は失敗しましたが、会社にも自分にも新しい風を吹き込んだと(自分だけは)思っています。

シリコンバレーに行ったときに現地メンバーからバングラデシュのIT会社の方を紹介され、会いました。その時は「なんでバングラデシュの人を紹介するのだろ」くらいにしか思っていませんでしたが、その「火種」が数年後に私の中で再燃し、「F. BOP(Base of the Pyramid:世界の貧困層)」のプロジェクトを起こし、その領域で社内外から知られるようになりました。このプロジェクトは私の人生にとっても大きなものとなりました。特に社外の方とのネットワークが格段に広がったのが今も宝物です。

会社人生の最後の数年は、新規事業推進部門や未来技術研究所のリーダーを務め、「G.様々な領域の事業・技術」の知見を得て、本当に沢山の「H.新規事業のメンター」をやりました。これは直接今の私(個人業として新規事業のメンターなどをやっている)につながっていますが、それ以前の様々な「横道」が本当に役に立っています。

また、それなりの立場になって、他部門との交渉が増え、「I.交渉力・巻き込み力」も磨かれたと思います(元々得意だったけど、とんでもない回数をやりました)


こうやって改めて思い出して並べてみると、私の「横道」の多くは「まだ(社内では)誰もやったことがないこと」が多かったと思います。裏返すと「前任者を引き継ぐ」類はあまり好きでなかった(し、周りから見ると「無理」)ということでしょう。

そして、サラリーマン人生より昔からやってきた「マンガ」を13年前から復活させたのがとても大きかった。まさか現役部長の時代に4コママンガの本を出版することになったり、その後こうやってWebで4コマ&コラムを連載するようになるとは夢にも思いませんでした。もちろん、私の4コマの場合は、サラリーマン時代のあれこれ変な事に手を出してきたことを活かしているので、「失敗」も大事なネタです。

こんな「横道(脇道?)に逸れ続けた人生」でも、いえ、だからこそ「今の私」があるし、これからもあれこれ手を出して失敗してネタを増やして、思わぬ世界に流されて行きたいと思います。


連載も50回目という記念の回を迎え、なんだか最終回のようなトーンになってしまいましたが、まだ多分続きますのでよろしくお願いします!(「続けていいよ」と言う方は、「facebookシェア」を押してね~)


■漫画・コラム/瀬川 秀樹

32年半リコーで勤めた後、新規事業のコンサルティングや若手育成などを行うCreable(クリエイブル)を設立。新エネルギーや技術開発を推進する国立研究開発法人「NEDO」などでメンターやゲストスピーカーを務めるなど、オープンイノベーションの先駆的存在として知られる。

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